思いおこせば

galleryサラでの個展の会期も近づいてきて

制作も大詰め。「追い込み」というと聞こえは良いが

本気で追い込まれると、火事場の馬鹿力が出るか

消耗して潰れるかの二択になってしまうので

そんなやけくそなことになってしまわないよう

今年からはできる限りリラックスした状態が持続できるよう

生き方全般を見直しています。

 

働き方のことを考えていると、ふと弟子だった頃のことが頭をよぎります。

弟子入りしていたところはとても忙しい窯元だったのに加え

当時は師匠と二人きりの「超」少数精鋭制。

よって個展が続くと連日午前サマ

三か月近く休みがないときもあった。
途中から登り窯なんかも築いちゃったりして仕事も混沌としてきて

「部活の合宿がずっと続いてるみたいだな」と師匠は力なく笑いながら

そして二人きりですり減りながら過ごしていました。

 

ご飯は常に二人前くらいの量が出て「補給」は十分だったし

まだ僕は当時30前後だったので体力的には耐えれたけど

あるときはストレスから両耳が急性中耳炎になってしまいほとんど聞こえず

師匠に電話番をさせてしまったこともありました。

真夜中に原付で帰りながら

「このまま脇の沢に落ちて大けがでもすれば

毎日しんどいのから解放されるのかな」

と思ったこともありました。

 

「ココハ師匠ノ我儘ガ100%通ル場所ナノダ…」

と頭の中で念仏のように唱え心をなだめることもありました(笑)

だって100%思ったようにやりたくて個人で独立するんですから

そこへ門を叩いた以上は黙ってついていくしかないのです。

 

どんなに長期の繫忙期をくぐり抜けても

どんなに展示会が成功し、大きな収益が得られても

正直なところ、苦しみの中でどんなに素晴らしい作品が生まれても

弟子にはなんの達成感もありません。

共に一喜一憂なんてのも  さほど無い。

ただひたすらに師匠の仕事への姿勢、技術を間近で見ながらそれに倣い
何かが身についているのか身についていないのか

かえりみる余裕などないまま
我慢我慢の三年ないしは四年間。

 

それでもこの根性ナシの自分がなんとか四年耐えれた理由は

何より、師匠が「出たらすぐにスタートできること」
を念頭に仕事を任せてくれているという実感があったこと。

この時点で妻子がすでにいたこと(苦笑)

そして実家が窯元で設備があり、修行を終えて

家に戻ればすぐにスタートできる環境があったから。

 

何度も書きましたが、僕はこの陶芸の世界に入ったのは

この環境があったからだし、子供のころから
図画工作程度はさほどの苦もなく出来たから

「やってやれないことはないだろう」くらいの気持ちだった。

そうじゃない人はどんな気持ちで学びの期間を過ごすのだろうかと

考えたりもします。

 

同時に、陶芸作家として活動をはじめてからは

活動を続けていくことの大変さが分かり、弟子だった頃に憤っていた

「師匠はなんでまたこんなにさばけないほどの仕事を入れちゃうんだろう?」

といったような「何故?」も今となっては理解ができ

他にもあの時には分からなかった色々なことに気づき

なんだか師匠に申し訳なくなって

あの頃の自分の料簡の狭さにほろ苦く思ったりもします。

 

そして「あの時間」がなかったら今は無いということは事実で

本当に人に話せないくらいでたらめに生きてきたけど

様々なご縁が絡み合って重なり合って

今を生きていることに感謝している今日この頃です。